2013年09月14日 |
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今回書くことは、非常に個人的なつぶやきとなります。
つい先日、とある研修会に行きました。 その感想は、金額に見合う、非常に内容の濃いもので、大変満足できたというものでした。(金額¥20,000!) 正直、この金額の研修会に行くことは、年に数回程度しか、私の財力では不可能です。 ですから、今回も、考えに考えた末、今の自分にとって必要な知識と技術が学べると判断してから、行くことにしました。 その結果は上記の通りで、当たりでした。
さて、何気なく、”当たりでした”と、書いたのですが、こう書かざるを得ないような経験をたくさんしたので、あえてそのような書き方をしました。
療法士になって、初めの数年間は、ありとあらゆる研修会に参加しました。月に使った金額は今では考えられないなものです。 それらの研修会がすべて、目の前の患者さんに役立つものであれば良かったのですが、9割近くが、ほぼ無駄だったと思います。 もちろん、そこで教えている所謂先生方は、役に立つだろうと思っているのかもしれません(そうでないかもしれません)。
しかし、実際には、ほとんど役に立たないものばかりでした。
そこで、最近受けた研修と、過去に受けた役に立たなかった研修との差を考えてみました。 過去に受けた研修の指導者達は、自身の経験から、話をし、その技術を伝えます。 確かに実際に、その人達は、実際に患者さん達を、少しでも良くしたのかもしれません。 しかしそれは、他の人、まったく新たにそういった知識や技術を学ぶ者が行った場合、同様の結果をもたらすことがないものでした。 知識が、技術が未熟なのだ、と言ってしまうこともできますが、それがどの部分なのかすらもわかりません。
一方で、最近受けた研修は、自身の経験と、その経験の根拠を学べば誰もがわかる知識で説明します(ここでは、解剖学)。 ですから、自分が本当に解剖学通りに、患者さんの問題をとらえて、それを改善する方法をとれているのかを、何度も何度も確かめ確認することができます。その筋肉がどういう働きをしているのかわかっていない、その筋肉を確実に動かせていないというのは、明らかなのです。 ですから、研修後も、自分自身で、どんどん知識や技術を発展させていくことができます。
基本が大切ということはこういうことです。
「むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく」(井上ひさし)
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