2013年08月15日 |
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8月になると、テレビや新聞などで、戦争をテーマにした番組や記事を見ることが多くなります。
私も小学生の頃から、社会科の時間などを通して、そういった話を見聞きしてきました。
大人になると、そういった事に慣れてしまったためか、徐々にそういったテーマからも遠ざかるようになりました。
そんなある時、山田風太郎という小説家を知ることになり、その作品のひとつ『戦中派不戦日記』(講談社文庫)を買いました。
まだ20代の医学生だった頃の日記にも関わらず、私はその文章に引き込まれていきました。
現在のような平易な文章では書かれておらず、少し難しい文体ではあります。
そのため、私などは、本当にゆっくりゆっくりとしか読み進められません。
しかし、そこに書かれていることから、当時の雰囲気、生活感、そして山田青年をはじめとする人びとの考えがひしひしと伝わってきます。
数年前に買って、まだ読み終わっていないのですが、その中でも印象に残った箇所を引用させて頂きます。
これをきっかけに多くの人たちにも読む機会が増えればと思っています。
--------------------------------- 空襲をくぐり抜けた人たちの中、山田青年はある場面に遭遇します。 焦げた手拭いをかぶった中年の女性が二人、路上に腰を下ろしていました。
以下引用 ”女の一人がふと蒼空を仰いで 「ねえ・・・・・・また、きっといいこともあるよ。・・・・・・」 と、呟いたのが聞こえた。 自分の心をその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた。 数十年の生活を一夜に失った女ではあるまいか。子供でさえ炎に落して来た女ではあるいまいか。 あの地獄のような阿鼻叫喚を十二時間前に聞いた女ではあるまいか。 それでも彼女は生きている。また、きっと、いいことがあると、もう信じようとしている。 人間は生きてゆく。命の絶えるまで、望みの灯を見つめている。・・・・・・この細ぼそとした女の声は、 人間なるものの「人間の讃歌」であった。 ” 引用終わり (『戦中派不戦日記』(山田風太郎著、講談社文庫)) |