2013年06月18日 |
---|
学生時代に習ったことは、どんどん忘れていいくのですが(その代わり、臨床に出て、本当に価値ある知識や技術は、新しくつけていってます)、ひとつ忘れられないことがあります。
それは、福祉用具についての授業を受けていたときでした。 その その先生はこう言いました。
「福祉用具をその人の生活に取り入れる時に、それを使うことがリハビリになるから、という考えは絶対にするな。」 その理由は、 「リハビリは、常にその人ができるかできないかの境界を見定めて行う。それがその人にとっての前進へとつながる。であるからこそ、毎日の生活で使うことになる福祉用具にそのような(リハビリとなる)要素を持ち込むことは、その人をこれでもかというくらい疲れさせることになる。生活はそのようなものではない。我々は、日々限界ぎりぎりの生活を送っているわけではない。例えば、トイレに行くのに苦労するか?服を着ることに疲労するか?もしそんな生活を送るならば、余暇などもつ気力はとてもではないが余っていない。毎日の生活はただ苦しいものとなってしまう」 というものだったと記憶しています。
私の中では今でもこの考え方が強く残っています。ですから、福祉用具が必要だなと思う時も、常にそれを使うことで動作が楽にならなければ意味がないと思っています。そのために、どういう動作なら楽にできるから、どのような 福祉用具が必要かと考えます。 単純に立てないから”手すり”なのではないのです。 どういう立ち方なら、その人は楽に立ち上がれ、そのためにどうのよな種類の手すりを、どのように置いて、どのように使ってもらうかを考えます。 ですから、すぐに「こうだ!」とも判断つかない場合もあります。 でも考え続けます。答えを焦って、思考を放棄しないようにだけはしています。
イーリハ東大阪訪問看護ステーション
|